三島由紀夫の墓はどこ?多磨霊園の場所・行き方と遺骨盗難事件の真相

目次
三島由紀夫の墓はどこ?多磨霊園の場所・行き方と遺骨盗難事件の真相
三島由紀夫の墓はどこ?多磨霊園の場所・行き方と遺骨盗難事件の真相
@ creator • Click to Play Video Inline
🎵 三島由紀夫の墓はどこ?多磨霊園の場所・行き方と遺骨盗難事件の真相

没後50年以上が経過した現在も、日本文学史に巨大な足跡を残し、国内外で熱烈な読者を惹きつけ続ける作家・三島由紀夫(本名:平岡公威/ひらおか きみたけ)。彼が静かに眠る場所は、東京都府中市と小金井市にまたがる都立多磨霊園内の「平岡家墓所」です。

しかし、総面積約128ヘクタール(東京ドーム約27個分)という国内屈指の広大な敷地を誇る多磨霊園において、目的の墓所へ迷わず辿り着くのは容易ではありません。さらに、三島の墓をめぐっては、一周忌直後に起きた前代未聞の「遺骨盗難事件」や、刻まれた特別な戒名、命日である「憂国忌」の参拝作法など、多くの関心が寄せられています。現地取材と各種記録をもとに、区画の詳細な場所からアクセスマップ、歴史的事件の深層までを網羅的にレポートします。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:三島由紀夫の墓は都立多磨霊園の「10区1種13側15番」にあり、墓石には本名に基づく「平岡家之墓」と刻まれている。
  • 要点2:1971年(昭和46年)に発生した前代未聞の遺骨盗難事件の全貌と、現在は強固なセキュリティのもとで遺骨が無事に安置されている事実。
  • 要点3:命日である11月25日の「憂国忌」や平時の墓参りにおける正確なルート、持参すべき持ち物、遺族への配慮をふまえた参拝マナーを解説。

【現地徹底ガイド】多磨霊園における三島由紀夫(平岡家)墓所の区画と行き方

都立多磨霊園は日本初の公園墓地として開園し、広大な敷地内に約4万基以上の墓石が並んでいます。三島由紀夫の墓所を訪れる際は、あらかじめ正確な番地を把握しておかなければ、園内で立ち往生することになりかねません。

三島が眠る平岡家の墓所は、霊園北東寄りに位置する「10区1種13側15番」にあります。正門(南側)から徒歩で向かうと約15分〜20分を要するため、最寄り駅からのバス利用や北門・みたまホール側からのアプローチが効率的です。

項目詳細・数値データ一般的な基準・相場編集部の見解・評価
所在地・区画東京都府中市多磨町4-628
10区1種13側15番
都立霊園の標準的な区画表記案内図なしでは到達困難。管理事務所で区画マップを入手するのが確実。
最寄り駅・所要時間西武多摩川線「多磨駅」徒歩約10分
京王線「多磨霊園駅」バス約8分
都内霊園としては駅徒歩圏内でアクセス良好多磨駅からの徒歩が最短。バス利用なら「多磨霊園表門」または「霊園北門」下車。
墓所の形状・目印「平岡家之墓」の自然石風棹石
周囲を植栽と外柵で囲まれた端正な区画
伝統的な和型・家族墓の標準規格「三島由紀夫」の文字は棹石正面にはなく、墓誌(側面の碑文)を確認する必要がある。
混雑期・ピーク毎年11月25日(命日・憂国忌)
および春秋の彼岸・お盆
著名人墓所の標準的な参拝ピーク11月25日前後は全国からファンや関係者が集まるため、静かに祈りを捧げるなら午前中推奨。

西武多摩川線・多磨駅から向かう場合、東口を出て霊園東側の通りを北上し、「10区」の案内標識を目印に園内へ入るとスムーズです。霊園の管理事務所窓口では、著名人墓所の位置が記された案内図の配布も行われており、初めて訪れる方は最初に立ち寄ることを推奨します。

三島由紀夫の戒名と辞世の句|平岡公威の魂が刻まれた墓石の歴史

1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)で起きた「市ヶ谷事件」により、45歳という若さで自決した三島由紀夫。その壮絶な最期は日本のみならず世界中に衝撃を与えました。

平岡家の墓所に眠る三島の墓石側面には、本名である平岡公威の名とともに、厳粛な戒名が刻まれています。

三島由紀夫の戒名は「彰武院文鑑公威居士(しょうぶいんぶんかんこういきじ)」です。武を彰(あきら)かにし、文の鑑(かがみ)となり、本名の公威を組み込んだこの戒名は、文武両道を極限まで突き詰め、自らの美学に殉じた三島の生涯をこれ以上なく象徴するものとして知られています。

また、決行当日に遺された辞世の句は、今も多くの人々の記憶に深く刻まれています。

「益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜」
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」

毎年11月25日には、三島と行動を共にした森田必勝(享年25)を追悼する「憂国忌」が民間の有志団体によって執り行われており、多磨霊園の墓所にも朝から献花に訪れる参拝者が後を絶ちません。

【事件の全貌】昭和46年に起きた「三島由紀夫遺骨盗難事件」の真相と現在の状況

三島の死から約1年が経過した1971年(昭和46年)12月上旬、多磨霊園の平岡家墓所において、日本中を震撼させる前代未聞の事件が発生しました。それが「三島由紀夫遺骨盗難事件」です。

事件が発覚したのは12月5日朝。平岡家の墓石が動かされ、納骨堂(カロート)に納められていた三島由紀夫の遺骨(遺灰の入った骨壺)が跡形もなく持ち去られていたのです。一周忌を終えた直後の凶行に、遺族である妻・平岡瑤子氏や父・平岡梓氏は深い悲痛と混乱に包まれました。

警視庁は威信をかけて捜査を開始。作家としての三島を信奉する右翼・左翼思想犯の関与や、身代金目的の営利誘拐ならぬ遺骨恐喝の線など、あらゆる可能性が捜査されました。しかし、犯人からの接触や要求は一切なく、事件は長期化の様相を見せました。

事態が急展開を迎えたのは、事件発生から約1年後の1972年(昭和47年)12月のことです。霊園内の捜索および情報提供により、盗まれた骨壺が多磨霊園内の別の区画の土中に埋められているのが発見されました。遺骨は無傷の状態で確認され、DNA鑑定等の照合を経て、正真正銘の三島本人の遺骨であることが確認されました。

その後、犯人は逮捕されましたが、特定の政治結社による組織的犯行ではなく、独自の妄執に駆られた単独犯による犯行であったことが明らかになっています。

「現在、三島由紀夫の遺骨はどうなっているのか?」という疑問を持つ方も少なくありませんが、回収された遺骨は再び平岡家の納骨堂へと戻され、現在は二度と同様の事件が起きないよう、強固な防犯対策と厳重な封印が施された状態で安らかに安置されています。

【実態検証】多磨霊園を訪れる参拝者のリアルな声と現地の雰囲気

緑豊かな武蔵野の面影を残す多磨霊園には、三島由紀夫以外にも、東郷平八郎、山本五十六、新渡戸稲造、さらには作家の江戸川乱歩や吉川英治など、近代日本を代表する著名人が数多く眠っています。

実際に現地を訪れる文学ファンや研究者のリアルな声を調査すると、平岡家墓所特有の張り詰めた空気感と、静かな佇まいに深い感銘を受ける人が多いことが浮き彫りになります。

「広大な多磨霊園の奥、木漏れ日の中にたたずむ平岡家の墓前に立つと、あの圧倒的な筆力と壮絶な最期が嘘のように静まり返っている」「派手な装飾は一切なく、質素で堅牢な自然石に『平岡家之墓』と刻まれているだけ。その潔さに三島自身の美意識が反映されているように思える」といった声がSNSや旅行記などでも多く見られます。

一方で、「敷地が広すぎて迷った」「同じような区画番号が多く、目印となる木や角の番号ポストを確認しながら歩かないと辿り着けない」という現場ならではのリアルな苦労談も多く寄せられています。スマートフォンのGPSマップと霊園公式図面の併用が必須と言えます。

一般に知られていない盲点とネットの誤解|参拝時のルールとマナー

三島由紀夫の墓所を巡っては、インターネット上でいくつかの誤解が流布されています。現地を訪問する前に、以下の正確な知識とマナーを押さえておくことが極めて重要です。

  • 誤解1:「三島由紀夫」という大きな文字の墓石がある
    墓石の正面に彫られているのはあくまで「平岡家之墓」です。筆名である「三島由紀夫」の文字は、墓所右側に設置されている墓誌の側面に小さく刻まれているのみです。正面の文字だけを探していると見落とす原因になります。
  • 誤解2:誰でも自由に内部の撮影・配信をしてよい
    都立霊園は公共の場ですが、個々の墓所はご遺族の私有財産です。墓前での大声での談笑、三脚を立てた長時間の動画撮影、SNSへの無秩序なアップロードは厳に慎むべき行為です。
  • 誤解3:特別な許可がなければ参拝できない
    霊園の開門時間内(常時開放、管理事務所は年末年始を除く日中対応)であれば、一般の文学ファンであっても自由に墓前で静かに手を合わせることができます。

【参拝ガイド】訪問をおすすめできる人・控えるべき人の特徴

墓参をおすすめできる人:

  • 三島文学の深層に触れ、静謐な環境の中で純粋に哀悼の意を捧げたい読者
  • 昭和の文学史・近代思想史の足跡をフィールドワークとして正しく辿りたい研究者
  • 都立霊園の利用規則や遺族へのプライバシー配慮を遵守できる方

訪問を控えるべき・見送るべき人:

  • SNS映えや動画配信のネタ探しを主目的とする方(厳粛な墓所環境を乱すリスクがあります)
  • 集団で大声を出すなど、静穏な参拝環境を損なう恐れのある政治的示威行為を目的とする方
  • 長距離の歩行に不安があり、事前のルート確認や熱中症・防寒対策を怠りがちな方

【三島由紀夫の墓】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:多磨霊園の平岡家墓所にお線香やお花を供えることはできますか?
A1:可能です。ただし、供えた花や線香の燃え殻が散乱しないよう配慮し、使い終わったゴミは必ず持ち帰るのが霊園の共通ルールです。カラスなどの鳥獣被害を防ぐため、飲食物のお供え物は参拝後に必ず持ち帰りましょう。

Q2:命日である「憂国忌」(11月25日)の墓前の様子はどのような雰囲気ですか?
A2:当日は朝から熱心な読者、文化人、関係者などが次々と訪れ、墓前には多くの献花が並びます。厳粛かつ静かな緊張感に包まれますが、混雑を避けてゆっくりと対話したい場合は、命日の前後の日程や早朝の時間帯に参拝することをおすすめします。

Q3:車で直接お墓の近くまで行くことは可能ですか?
A3:多磨霊園内は自動車の乗り入れ(徐行運転)が可能であり、区画の近くにある道路脇の白線エリアに一時駐車することができます。ただし、お彼岸やお盆、憂国忌当日は園内道路が混雑するため、公共交通機関の利用が無難です。

まとめ:昭和の巨星・三島由紀夫が眠る墓所を訪れる意義

作家・三島由紀夫(平岡公威)が永遠の眠りにつく多磨霊園の平岡家墓所。そこは、数々の名作を世に送り出し、劇的な最期を遂げた一人の表現者が、すべての喧騒から解き放たれて静寂のなかに佇む聖地です。

かつて起きた遺骨盗難事件の傷跡を乗り越え、今もなお大切に護られ続けている墓前を訪れる際は、正確な区画(10区1種13側15番)を把握し、節度あるマナーと敬意を持って手を合わせることが求められます。武蔵野の木立に囲まれたその場所は、三島文学の根底に流れる「美と死の哲学」に思いを馳せる、かけがえのない時間をもたらしてくれるはずです。 (出典: 三島 由紀夫 の 墓(Yahoo!ニュース))

三島 由紀夫 の 墓
三島 由紀夫 の 墓
三島 由紀夫 の 墓